スタッフ・理事から一言

認定特定非営利活動法人になりました

寄り添う看護
認定NPOの冠をいただいたこと
ケアする妻へのケア
災害への備えも忘れずに
音楽療法に参加
昼食の風景
麦にまつわる物語
”自分らしく生きる”の響き合い
 
  

 

 

認定特定非営利活動法人になりました

 

 

 

             理事長 酒井忠昭

 

昨年のクリスマスイブ、1224日に東京都から認定NPOとしての認証を受けました。設立から8年半経ち、平坦な道のりではありませんでしたが、社会的評価をいただいたと思っています。当局に活動全体を理解されているとは思いませんが、多くの方の支援をいただいている(一定額のご寄付を2年間に200名以上の方から寄せられることが要件のひとつ)こと、活動計算書をはじめ、各種書類がオープンで正確であったことが認められました。

 

全国には約5万のNPOがあります。このうち認定を得ているのは500ほどです。認定をえると、その団体に寄せられた寄付や遺産が優遇税制の対象になります。つまり、社会は認定NPOに税金の配分先と同等の公共性を認めているわけです。結果として、その団体は社会的信頼をえますし、相応の活動を期待されます。私たちはどのように活動すればよいのでしょうか。

 

私たちの活動の中心に訪問看護ステーションがあります。訪問看護ステーションを運営しているNPO法人が認定を得ようとするのは、その団体が訪問看護以外の活動を行っていて、その活動に一定の資金と、多くの支援が必要な場合になります。

 

私たちは、訪問看護ステーション活動は無論ですが、訪問看護以外の活動を整理し、拡充させ皆さまに理解していただかなければならないと思います。                 

 

私たちは、独居の多い高齢者の心理的な負担を和らげるために、音楽療法、アロマセラピー、心理カウンセリング、傾聴活動、セカンドオピニオンの提供、権利擁護活動などを行ってまいりました。これらを拡充するためには、ニーズを把握し対応しなければなりません。

 

これらにたいする高齢者のニーズは決して少なくないと思います。しかし、これまでの高齢者への福祉はお仕着せで、足りない部分を補うことに終始していました(たとえば、病気の治療など。しかし高齢者は病気治療で若い頃のようになるわけではありませんし、満足もしません)。また、高齢者の側は私たちの活動のようなサービスを知りませんし、自分から何かを求める積極性もありません(美徳)でした。したがって、はじめは訪問看護の現場で看護師、療法士らがニーズを察知して助言する必要があります。訪問看護の目標は、利用者の生活を全体的に理解、把握し援助することですから、あるセラピーへの勧誘や助言を提供することは、専門職の仕事の重要な一部だと思います(高齢者の過半が陥っているといわれる「うつ」から救うひとつの方法だと思います)。訪問看護を、私たちの活動への誘導の現場と考えるのは、現在のところ、その他の方法では、専門職が高齢者をトータルに、また機微に及んで把握することが困難であることから、他では得られない状況だと思います。したがって私たちのNPOが認定を受けて、活動の拡充を図るとき、この点に焦点を当てることは意義のあることで、自分たちでしかできない「新しい公共」のモデルたりうるのではないかとさえ考えます。

 

ところで、私たちの活動にたいするニーズを見出すことと、対応する専門家の仕事と時間を確保することは車の両輪でなくてはならないと思っています。相応の待遇の拡充も必要ですから、会員の方々やご支援の方々ばかりでなく、広く活動のご理解をいただかねばなりません(広報活動の拡充)。

 

最近、「クラウドファンディング(不特定多数による基金調達)」という方法を知りました。一定のプロジェクトを設定し、金額と期間を決め、ネットや新聞にアップします。プロバイダーには集まった基金の1020%を支払います。現実に、アフリカの子供たちにアートセラピーを提供するために3か月間150万円のプロジェクトが動いていて、ほぼ目標を達成していました(201618日まで)。皆さん(ネットにアクセスする人が多いので若い方が多いことを念頭に)に理解しやすいプロジェクトを企画する、高齢者と若い方の接点を見つける(たとえば、祖父、祖母に教えたいサービス)など難しい点はありますが、検討に値すると思っています。

 

新しい年は、認定団体としての活動の初年となります。

 

    

 

 

 

 

 

寄り添う看護

 

 

 

        所長 理事 山内理恵

 

 早いもので当NPOのスタッフとなって4年、土川さんの後を引き継ぎ管理者となって半年が過ぎました。自分の力不足に落ち込むことも多く、管理業務の難しさを改めて感じながら、土川さんをはじめ周りのスタッフに支えられ日々奮闘中です。

 

土川さんとは不思議なご縁があります。土川さんの娘さんと主人の妹が小・中学校の同級生だったのです。義理の母も土川さんのことはよく覚えていて、モーツアルト好きなこと、その頃から訪問看護をしていたことなど、懐かしそうに話してくれました。そんな時代から訪問看護を続けてきた土川さんに学ぶことは多く、今でも困ったときは相談しておりますし、居ていただけるだけで心強く安心です。土川さんはもう引退させて、と思っているかもしれませんが、もう少しお力を貸してほしいと思っています。新しいスタッフも加わり、学ぶことも多い日々です。先日、実習にきた学生さんからは、利用者さんに寄り添う看護が印象的だった、という嬉しい感想をもらいました。まさに私たちが目指すところだと思っています。寄り添う気持ちを忘れずに、“在宅療養を担うエクスパーツ”となれるようスタッフと共に精進してまいります。 

 

昨年、保険制度の改正があり、難病の方の自己負担の発生、介護保険の負担割合や負担上限額の見直しにより利用者負担が増え、より質の高いサービスの提供が求められています。また、高齢化が進み老々介護や認々介護(認知症同士)、独居の方の介護など、医療や福祉サービスだけでは対応しきれないケースが増えていると実感しています。NPO法人として何ができるのかが今後の課題だと思っています。

 

 

 

 

 

認定NPOの冠をいただいたこと

 

    —看護ステーションとNPO事業の

 

更なる融合と発展を目指して-

 

 

 

        理事 訪問看護師 土川稔美

 

 本当に嬉しい春が来ました。8年前に、酒井理事長が、リンゴの苗木を植えました。私は、正直言って、「そんなこと-知らないよ、日本の風土では、無理でしょ。私は60歳を過ぎて、おぼつかないし、趣旨は素晴らしいけど-私は、協力できない」と考えていました。がー、理事長の初志貫徹の意志は、大理石のように硬く、どんなことがあっても、理事会でこき下ろされても、絶対にあきらめませんでした。

 

「これほどまでに看護のことで苦労して下さっているのに、看護師である私が、傍観しているのは人として許されない。バカでもなんでも、やってみよう」と、意を決して所長になりました。若い世代に繋ぐまで。

 

そして、昨年度、素敵な所長・山内が誕生。おまけに、よくぞ差し向けてくださった、と思えるスタッフも加わり、より良き看護を目指して、若いエネルギーが動き始めました。日々、仕事の中で意見交換が行われています。(私は、難聴の気があり、全部は聞こえないのが残念!)スタッフは、涙ながらに本心からのことを、語っています。そうでしょうー。私達は、個人・ご家族の危機局面に関わる崇高な仕事をしているのですから。そんな時、臨床心理士・無藤さんが、穏やかな笑顔でそこにいて下さるのは、一杯の岩清水。いいステーションになりました。

 

 リンゴの木は、枯れることなく身丈にあった樹に成長し、初めての実がなった気がいたします。みんなで力を合わせて、更に、看護ステーションの中身を充実させていきたい、そのためにも、NPO事業の推進を、と話し合っています。

 

 設立当初から、ボランティア組織については、念頭にありましたが、なぜか最も理想的な形で、すでに存在していたために、きちんとした形で組織化することは出来ないままになっています。「コミュニティー音楽療法🎶」には、5人のボランティアが関ってくださっています。そして、秋田さまのケアには、看護ステーションのスタッフばかりでなく、15年来の歌の会のメンバーの方々が、朗読、圭子さまの励まし、家事手伝いなどとして、定期的に来てくださっているのです。そして、「メビウスの輪」と命名して、傾聴ボランティアをお願いして、99歳女性に3年近く関わってくださっている方もあります。皆さま、多くを語らず、決して押しつけず、そっと手を差し伸べる優しい方で、受け身に話を聞く態度の方ばかり。そして、自己の行動をきちんとフィードバック出来る方ばかりです。ここに、ボランティアのあるべき姿勢があるのかと思い、感謝の心で眺めています。

 

今後の目標は、すでに協力して下っている方々への感謝をあらわすことと、新たなボランティア(メビウスの輪)の育成・組織化です。スタッフの提案は、「死にゆく方の傍に居続けられる人」、「認知症の不安に怯える方の心からなる友人になれる人」、「あなたの心の声を真に聞かせていただける人」、「介護保険の隙間を埋める用事をこなすこと」など、素晴らしいアイディアが出てきています。必要を満たしていくやり方で、自然に進めていきたいと思います。

 

 もう一つの柱は、「デグニティーセラピー」です。それ何、と思われるでしょう。私も、初め、分かりませんでした。が、ある方の、デグニティーセラピーに同席させていただいて、その意味、その凄さに触れました。Kさんは、難病のために言葉は、ほとんど聞き取れなくなっていますが、ご自分で望まれて、セラピーをスタートさせました。確かに、音声的には、聞き取れないところがほとんどですが、その場の雰囲気、表情、息遣いなどで彼の心を感じることができ、コミュニケーションは言葉だけではない、むしろ他のメッセージの方が大切であることを体験し、カウンセラーの「心の声を聞く態度」に胸打たれました。

 

デグニティーセラピーとは、死にゆく人からのメッセージとして、カナダで確立されたものですが、当協会のカウンセラーにより「今を生きるプログラム」として、ホームケアエクスパーツの独自の形に、生まれ変わりました。ご本人の希望。スタッフの取り継ぎなどにより、プランいたします。

 

 私ごとで恐縮ですが、管理者在任中は、本当に多くの方のカバーのお陰で「大過なく」(と、いいたい!)繋ぐことができました。この場をお借りして、心からの感謝を伝えたいと思います。今後は、非常勤として、NPO事業を若い世代へ引き継ぐこと、まだ私を必要として下さる方への訪問もさせていただきます。素敵なスタッフが集結し、とても居心地がよいのです。🎶リンゴの樹は、いつか、「実のほど知らず」ほど、成長しますように。

 

 

ケアする妻へのケア

 

 

 

      理事 訪問看護師  松沼瑠美子

 

「松沼さん!!お元気~?」と、私と二まわりも違う年齢は全く感じさせない、弾むような張りのある声。夫を在宅で看取った後、やり遂げた達成感と解放感から、この15年は様々な国を旅しながら、やり残したことが無いように自分だけの人生を思いっきり過ごした。だから、今度は、夫と過ごしたこの家で、少しゆっくり過ごそうと思う。夫の終末期に、一緒に過ごした松沼さんに、今度は私のことをいろいろお話したくなった。そう言って、療養生活を振返ったり、旅行で訪れた国々でのエピソードを話したり、あっという間に30分が過ぎ、電話もいいけど、直接お顔を見てお話ししたいと、15年ぶりのTさんとの電話は近々お会いする約束をして終わった。

 

 Tさんの夫Yさんは糖尿病で下肢を大腿部から切断しており、多発性脳梗塞のため、意識障害と左右の不全麻痺の後遺症があり、一日のほとんどはベッド上で過ごし、食事は経管栄養だが、せめて座って摂らせたいとリフトを用いて車いすに座り、ゼリーや果物のすりつぶしたものをお気に入りの食器に入れて、準備をしていた。科学的な根拠はないとお叱りを受けそうだが、言葉は発せず、自発的な動きは見られないものの、その眼の奥には、意識の存在を示すような輝きがあり、妻と私の会話に一緒に加わっている雰囲気をいつも感じることができた。そこが私とTさんの共通する見解で、これまでの人生や闘病のこと、病状のこと、これからの過ごし方のこと、そして時期が来て、最期の看取りのことまで、Yさんを囲んでよく語り合った。そしていつも最後は「これでいい?おとうちゃん」とTさんが尋ね、物言わぬ目がうなずいたとか、笑ったとか、喜んでいる、とか、Yさんの受け止め、決定を支持するのが私の役割だった。いつの間にか、その話にはヘルパーさんが加わり、姪御さんが加わり、Yさんを囲む輪が大きくなっていた。「私、おとうちゃんの最期、一人で見届けられるから!松沼さんは、少し休んで。息を引き取ったら電話する!」そう言って、数時間後、TさんはYさんを腕に抱きかかえて最期の時を見守った。

 

 看護におけるナラティブ・アプローチは、その言い方は1980年代にアメリカの看護の研究者が使い始めたが、語りの中からその人を知るという手法は、私が学生だった1970年代、先輩たちによく教えられたものだった。患者さんやご家族から情報を聞き出すのではなく、話してもらえる看護師、話を聴いてほしいと思われる看護師になれ。そのために、様々なコミュニケーションスキルやカウンセリングスキルの勉強はしたものの、本当に身についているのだろうか。いま、先輩が私の看護を見たら、何と評価するのだろう。少し不安になりながら、厳しかったけれど、いつも真摯に相手に向き合い、自分に向き合う先輩を思い出し、改めてナラティブ・アプローチについて深められるチャンスがいただけることを、とても楽しみに思っている。

 

 

 

 

 

災害への備えも忘れずに

 

            

 

訪問看護師 諸原純子

 

 昨年7月から入職しました訪問看護師です。病院勤務後、訪問看護を6年ちかく経験し、その後大学教員を4年ちかく経験してまいりました。久しぶりの訪問看護の仕事のため、制度や技術について学び直しの毎日です。スタッフの皆さんに助けていただきながら楽しく勤務しています。

 

先日、以前から登録している東京都看護協会「災害支援ナース」の登録更新研修に参加させていただきました。都内はもちろん、全国での災害発生時に現地に派遣され、看護師として任務につきます。そこで教わった内容に「日頃できていないことは、被災地では絶対にできない」というものがありました。なるほど確かに、と納得しました。特別な場ほど、普段の力を発揮しきれないものです。アスリートも、練習でできない技術を本番で100%成功させることはできません。看護師として、特別な場面でも役割を果たすために、日頃からの鍛錬が必要だと痛感しました。

 

また、災害に備えた準備の大切さも再認識しました。大震災から時間が経過し、徐々に災害にたいする意識が薄らいできていると思います。いま一度、物品のことやご家族との連絡方法、避難経路の確認をお勧めいたします。

 

 

 

音楽療法に参加

 

 

 

         訪問看護師  鶴田ゆり子

 

 「音楽療法って、すごく楽しいの」、Tさんの一言で私もスタッフの仲間入りをさせていただくようになりました。昨年、訪問看護のご利用者Uさんに音楽療法の体験をお勧めしました。Uさんは3年ほどまえに大病をされて、1年は生きる気力が出なかったとのこと。少しづつ食べられるようになり、外出も出来るようになりました。音楽療法は楽しかったので続けたいと話されました。前回は元ダンスの先生が来られて手ほどきを披露してくださいました。先生はふらついて歩行が困難だったとは思えないほど美しい踊り姿でした。「先生、私もやらせてください」とUさんは立ち上がったのでした。帰る道すがら「ダンスの先生に、もっとおしゃれしなさい、高価に飾らなくても身ぎれいにすると、こころもシャキッとするわよ、といわれた」と自らに言い聞かせるように話されました。その後、すこし体調を崩され、「でもお風呂だけは入りたい。音楽療法も続けたいと思っているの」と話されました。Uさんにとって音楽療法は楽しみや励みとなっていて、この活動のすがらしさを実感しています。

 

 

 

昼食の風景

 

 

 

           理事  青山敬之助

 

平成28年の異常に温かいお正月。昼の12時。徐々にナースの人たちがステーションに戻ってきてテーブルを囲みます。だいたい1210分から20分ごろから昼食がスタート。事務の田上さんが出勤の日には彼女持参のブロッコリー主体のサラダが人気のまと(食べられない私は白い目にさらされる)。たわいないおしゃべりもあるが、大半は利用者さんの状況、看護についての情報や意見の交換。さらには看護一般の知識のやりとりや酒井先生のミニ講座も。酒井先生はいつもコロッケやアジフライなどを差し入れスタッフのお腹を楽しませてくれます。しばらくすると、ひとりふたりと訪問に出発。あっという間に事務職のみが取り残されます。以前は午後から出勤が多かった私も、この雰囲気の中毒となり、出勤時間が早くなりました。

 

さて本年度も9ケ月が経過、残すところ3ヶ月となりました。利用者数は毎月130人を超え、訪問件数は毎月800件を超えています。毎月入院されたり旅立たれたりする利用者が何名かおられる状況下で、波の少ない事業を継続できているのは、地域、関係者間で当事業所の認知度が向上していることによるものと思われます。まさしく、スタッフの努力、成果のおかげです。

 

ところで、東京都からの要請もあって昨年度から活動報告書を3部門に分解した報告書も作成しています。すなわち、介護保険、医療保険に関する事業(訪問看護事業)、それ以外の非営利活動に基づく事業(アロマセラピー、音楽療法、医療・生活相談等)、及び管理部門であり、12月末での9カ月では、それぞれ189万円の黒字、14万円の黒字(寄付金収入を含む)、85万円の赤字です。東京都の認定を昨1224日に取得しましたが、認定の条件の一つが、平均年100人以上の寄付者がいること、二番目の非営利活動部門の費用が寄付金の70%を超えることです。(12月現在では100%をこえている。)この3分割の活動報告書がNPOの実像の把握に多少でも役立つことを願っている次第です。

 

また、本年度もすでに看護学生の研修を3クールうけいれました。今月今期最後の4クール目の学生を受け入れます。利用者、スタッフの協力をえ、彼女たちが有益な経験を積むことを望んでいます。昼食の場がいっそう華やかになるにちがいありません。

 

 

 

『麦にまつわる物語』

 

92歳の女性からの贈り物~   

 

 

 

理事  石井三智子

 

 昨秋10月のある日、約1キロの麦の種とパンが自宅に届いた。送り主は、広島県福山市近郊に住む内田千寿子さんという方だった。面識は1回、86日、広島市内のYMCA会館で開かれた「被爆証言の会」での出会いであった。車椅子に腰かけ、帽子をかぶった小柄な女性は、ぽつぽつと小さな声で話しはじめ、段々と熱を帯びた口調で2時間、全国から集まった人々が集う小さいグループの一つ、20名ほどに被爆体験を語った。

 

 1923年生まれの彼女は、1945811日、日赤病院からの臨時召集を受けて広島入りした入市被爆者である。目的は、被爆者救援であったが、治療器具や材料、薬、人材とすべてが無いなか、看護婦であった彼女の仕事は、悲惨な状態で運ばれた人々の看取りであったという。約1ヶ月、不眠不休の働きをする中で、彼女自身の身体が放射能により蝕まれ、帰郷する。以来、現在まで外部・内部被ばくによる後遺障害と闘っておられる。

 

 故郷に戻り、ほどなく結婚。家族を養うため、体調が許す時は、看護婦として、ある時は内職仕事、二人の子ども、大家族のためになりふり構わず働いたという。一つの転機は、64歳の時にはじめた農業である。ナイチンゲールの『看護覚書』にある「体から毒素を出すには汗をかくしかない」にヒントを得て、畑仕事を体の不調とたたかう手段とし、作物をつくる喜びを自分の生きている証とした。現在、三畝ほどの畑に麦をつくり、6月に収穫されたものが、送られてきた「ふくさやか」という品種の小麦であり、それを製粉して自分でつくったパンだったのである。かつての軍国少女は、戦争に対する反省から、「自分のことばを持つこと」、「追随ではなく自分の頭で考えること」、「考えたことを書くこと」を信条に、現在も通信の発行を地元で続けている。作家、山代巴との出会いの影響も大きい。

 

 11月、東京の小さな土地に麦の種を蒔いた。平和の種が広がるよう如月に麦ふみをしたいと思うこのごろである。

 

 

 

     

 

 

 

「“自分らしく生きる”の響き合い」へ

 

 

 

臨床心理士 無藤清子

 

 こちらで心理カウンセリングを担当し始めて、もうすぐ2年になります。“人の人生における ケアすること/ケアされること/ケアし合うこと” の奥行きをますます感じています。十数年前、女性たちとのカウンセリングや自分の体験から、ケアラー(介護・看病をしている人)にはサポートが不可欠だと考え、この領域に携わり始めました。

 

そもそもケアラーへのサポートには、いくつかの見方があります。最も強調されるのは、ケアラーが一層良い介護・看病をできるようにするためにサポートする、ということ。サポートされれば、ケアラーはゆとりを持ち笑顔でケアできる。それがケアの受け手(要介護者)の幸せにつながる。言い換えれば、ケアラーは要介護者のための“資源”だ、ともいえる見方です。また、専門職と協力して良いケアを共に遂行する“協働介護者”もそれに近い見方と言えます。

 

一番辛いのは要介護者本人なのだ、という感覚からは、このような要介護者主体の見方もわかります。ですが、ケアラーはケアされるべき“クライエント”だというケアラー主体の見方(ケアラーは自身のニーズを把握される権利を持つということに通じる)はとても大切と思います。両者の望みが両立しない場合は悩ましいですが、突き詰めれば、ケアラーがケアしないという選択可能性(権利)を持つという考え方でもあります。なお、ケアラーであるか否かに関わらずその人自身であるという見方も大切です。

 

これらのどこに自分が立っているのかをいつも意識しつつ、ケアの受け手とケアラーの幸せが共に成り立つ道を探っています。特に、病いを得てからの人生や人生の終章を自分らしく暮らすには、同時に、そういう家族をケアしている人が自分らしい日々を暮らすには、どういうことが必要なのかを探っているところです。

 

このヒントとして、人生の語りを通じての <「自分らしく生きる」の響き合い> ということを考えています。ケアの受け手ご本人が自分の人生を人に語ることが、自分らしく今を生きることや意思決定につながりうる。そして、「自分らしく生きる」が表現された語りには、聴いた人との間で響き合いが起こる力があって、ケアラーにとっても、自分の選択や意思を改めて捉え直し体験し直す機会にもなりうる。――これは、ケアの受け手とケアラーの間に限らず、ケアラー同士の間でも、また、ケアラーと専門職などとの間でも、起こるのを体験してきました。

誰もがケアラーにも要介護者にもなりうる超高齢多死社会に今私達は生きているので、ケアを家族だけの問題ではなく社会の皆に関わる問題だと位置づけたいと思います。その時、語りの響き合いは決して簡単な手軽なことではないですが、ここには探求していきたい道があると感じています。

 

近年、慢性疾患やがんを患われておられる方々の療養の場所が、病院から在宅へと切り替わってまいりました。

 

  • 病院を離れて、自宅あるいは自宅に準じた施設で利用者の方々が生活の質(QOL)を高め「人生の主役」として生き生きと過ごせるようにするには、 在宅療養の方法に精通し、よく訓練された看護師や理学療法士等によるサービスが欠かせません。

 

  • 当協会は、地域における在宅療養を担うエクスパーツ(専門家)を育て、在宅療養の方法を研究し地域で共有する活動を続けております。  

 

  • さらに、病気や障害をもつ方々が、身体的な回復に加え、満足感や心理的ベネフィットの増進を得られるよう援助します。